昭和陸軍の軌跡 - 永田鉄山の構想とその分岐 (中公新書)
著者は第二次大戦をイギリスをドイツが屈服させられるかどうかの戦いだったとみています。もしドイツがイギリスを屈服させたら、アメリカはヨーロッパでの足がかりを失うとともに、ドイツはイギリスの工業力も手に入れ、大西洋と太平洋から挟撃を受けることになります。こうしたアメリカにとっての安全保障上の重要問題だったから、あえて、日独相手の両面作戦をあえてやった、と。
一方、日本では「英米分離は可能か」という神学論争みたいな議論をずっとやっていて、まだ大丈夫だろ、ここまでならアメリカも動かないだろうとタカをくくっているうちに、にっちもさっちもいかなくなってしまったという感じです。1939年6月に天津英仏租界の封鎖に際し、ヨーロッパ情勢に備えるためにイギリスはやむなく中国国内で日本軍の妨害となる行為を差し控えることを受けいれましたが、その三日後にアメリカはイギリスの代わりのような感じで日米通商航海条約の破棄を通告し、いつでも対日経済封鎖へ踏み切る構えみせて牽制します(p.194)。こうした事態を観察すれば、米英不可分だということぐらいわからなかったのかな…と思いますが。そして、武藤は田中らが「しゃにむにソ連に飛びかかりそうなので、それを防ぐ」ために、アメリカの対日前面禁輸の可能性があったにもかかわらず、南部仏印進駐を実施してしまい、アメリカはソ連崩壊を恐れて日米開戦を引き起こすかもしれない対日全面禁輸に踏み切ります。もし、ソ連が敗れればドイツはイギリスに向かうからですが、これ以上、日本の南進を看過すると、イギリスがアジアやオーストラリアからの物資調達が出来なくなり、それはイギリスを崩壊させるからだ、と。《一般に、日米戦争は、中国市場の争奪をめぐる戦争だったと思われがちだが、それは正確ではなく、実際は、イギリスとその植民地の帰趨をめぐってはじまったのである》という主張は新鮮でした(p268)。