火星年代記
ソラリスという名のバンドの「火星年代記」というアルバム、ハンガリー産らしいけど、このSF作家まがいのグループ名とアルバムタイトル(東欧のSF作家でソビエトのタルコフスキー監督の手で映画化されたスタニスワフ・レムの小説が「ソラリス」で、アルバム名の「火星年代記」はアメリカのSF作家レイ・ブラドベリィの小説にあやかった作品)で、いえ、耳にするまではB級? 二流とも三流とも思っておりましたが、いやはや聞いてびっくり、半端じゃない、驚きの楽曲でございます。構成力はたいしたものですわ。
ソラリスの陽のもとに (ハヤカワ文庫 SF 237)
ソラリスの海は人間による理解をかたくなに拒む。しかし、それは個人の心を読み、もっとも触れられたくない過去の形を選り抜く能力を持っていた。差し向けられた過去たちは純真に優艶に主人公たちの精神を侵食する。主人公の内へ内へ。心を強く強く揺さぶる。読者の胸にも確実に迫るだろう。
そして、物語は終盤へ向かい、あるときを境に現象は途絶え平穏と静寂が訪れる。ソラリスに害意があったのか、好奇心ゆえのいたずらだったか、それは分からない。しかし、主人公の内へ激しく打ち寄せていた情念のさざなみが、いつのまにかそのままの振幅でソラリスに向かって折り返されているのが分かる。それはもはや学問的関心ではない。読者にとっても同様だろう。レムは恐ろしい。SFが持ちえたもっとも親しみのある地球外生命体はソラリスではないかと思う。
ソラリス 特別編 (初回限定版) [DVD]
スターウォーズ的なスペースファンタジーを求めるSFファンには、退屈と見えるかもしれないが、ちょっと気に入った。
クリス・ケルビン以外の登場人物の名前が違っている。原作のハリーは、つづりを分解してレイアになっているなど(知らなかったが英訳版がそうなっていたらしい)。
そういえば、原作ではスナウト博士の「お客」は明かされていないことにふと気付かされる。その謎について、新しい解釈を示してくれるのが、ソダーバーグ版である。新しい解釈というよりは、ソダーバーグのサービスかもしれない。このどんでん返しで、この物語が急に奥行きを持ちはじめる。ソダーバーグは、「ソラリスの海は、内心の願望を映し出す鏡」だ語らせる。ソラリスの海に映し出されたソダーバーグの願望は何だったのだろう-「やり直し」のチャンス? ソラリスの海は、新たな命を宿す羊水のように後悔の記憶に肉体を与えるが、ケルビンの再出発はまだ暗い雨に覆われている。
海からはるかに離れた軌道上から、最初は穏やかに見えたソラリスの海は、映画の最後では、細胞分裂直前の卵のような変容をとげる。「2001年…」への胎児へのオマージュだろうか。
ソラリス (スタニスワフ・レム コレクション)
的外れかもしれませんが、この作品は、ここで読めるもの以上にここから喚起されるもののほうが大きく、有益である、そんな印象を持ちました。平行して「虚数」のような作品があるからでしょうか、素直に読めないというか、なにか全体を暗喩のようにして読んでしまった気がします。新たに訳出されたことについては、ハヤカワ文庫版に長年親しんではきましたが、細部をはっきり覚えているわけでもないので、改訳されたといっても、読み比べでもしない限りほとんどの人にはそんなに抵抗感はないと思います(抵抗感はないものの、やはりだいぶ違いますが)。映画はタルコフスキーのほうが僕は好きですが。
ソラリス (特別編) [DVD]
アマゾンのレビューでは、ジョージクルーニのと、ソ連(ロシアではない)映画とのがごっちゃになっている。ジョージクルーニのはハリウッド版のSFなので、それなりにSF娯楽映画として楽しめます。ソ連版はSFというよりはロシア文学ぽいです(ソ連ですがソ連文学とは言いませんので)。この作品を観る前にいくつかロシア文学を読んでから観られると全体の本当の意味が何となく分かると思います。ドフトエフスキーやソルジェニーツインとか読まれて、そのストーリの裏で何が言いたいのかを楽しまれてからの方がいいかも。10年ごとぐらいに観たくなる程度・・レンタルコピーでもいいかな。ソ連版はレンタル無いかも。