情事 セカンド・ラブ [DVD]
2007年米国公開時の原題は
「ネバー・フォーエバー」です。
「永遠なんてない、、」確かにそ
ういう話です。
後にマイレージマイライフに主
演して大女優になる彼女が体当
たり演技です。
数年前にアマゾンUKで取り寄せ
ました。日本発売はないだろうと
思ってましたが、NYのコリアタ
ウンで暮らす若者が相手役なので、
折からの韓流ブームを受けての日本
発掘発売になったと推察されます。
情事 (集英社文庫 143-A)
表題作「情事」は森瑶子38歳の時の処女作でありすばる文学賞を受賞した作品である。
37歳時、作者は自分自身に絶望してた時期、版画家池田満寿夫が芥川賞を受賞したこと
を知り、それに刺激され書くきっかけになったという。
本書は主人公洋子が若さへの不安から奔放な性に駆り立てる物語である。情愛に対する
欲望と飢えが巧みに描写されており、まさに森瑶子の世界、夏を基調にした作品で冒頭
の「夏が終わろうとしていた」は印象的な一行である。
禁じられた情事の森 [VHS]
まず始めに、追悼・エリザベス・テイラーと言いたい。筆者はテイラー世代の映画マニアではないが、それでもこの映画のリズ嬢はとても美しかった。問題作にひるむことなく挑み続けた彼女のフィルモグラフィーにも敬意を表する。本作も間違いなくその一つなのだ。
さて本題。監督ジョン・ヒューストンを表す時、大抵「巨匠」という冠がつけられる。では何の巨匠なのか。というと皆黙ってしまう。ジョン・ヒューストの代表作は?と聞いても同じだ。「赤い風車」?「黄金」?「荒馬と女」?・・・多岐にわたるジャンルで様々な映画を撮った監督。実はこの一本でヒューストンを説明できる作品、はないのである。では無個性な監督かというと、彼ほど強烈な個性と伝説(特にそのキャラクター性において)を残した監督はいない。
そう、実は皆「巨匠」という言葉を使う事で、さりげなくヒューストンの本質から逃げているのである。
はっきり言ってしまおう。ジョン・ヒューストンは死と倒錯に取り憑かれた「オブセッション」の監督なのである。そしてその性向は映画の全面に押し出される訳ではなく、さりげなく、端々に罠のように散りばめられている。
例えば、文学者にもしばしば引用される「白鯨」の“手招きするエイハブ船長”(実はこのシーンは映画のオリジナルらしい)はとても有名だが、「マッキントッシュの男」では、正統派エスピオナージュかと思いきや、いきなりダイアン・ソーン風のSM姐チャンが登場し、ポール・ニューマンをいたぶるシーンが展開したり、西部最後の男の生き様を叙情的に描いた「ロイ・ビーン」でも、中盤でアルビノ(白子)のガンマンがいきなり登場し暴言を吐きまくった挙句、どてっ腹にマンガのような風穴を開けられる、という“変”なシーンがあるし、破滅型ドラマの最極北ともいえる「火山のもとで」はすでにVHSソフトのレビューで解説済み。
ヒューストンが一時ハリウッドを離れて海外に移り住んだのは「赤狩り」を逃れるためではなく、ブラック・ダリア事件の容疑者として警察がマークしていた人物と親交があったため、捜査の手が及ぶのを恐れて・・・という話まである(ヒューストンが事件に関係していた、という意味ではない)。いずれにせよ、ハリウッド時代のヒューストンはかなりデカダンな思想を持った人たちのサークルに属していた、らしいのだ。そして、遺作である「ザ・デッド」=まさに“死者たち”の映画の撮影中、自身も死を目前にしていたヒューストンは酸素吸入器をつけて演出に挑んだという鬼気迫る取り憑かれぶりだったという。
そして、この「禁じられた情事の森」は、そのヒューストンの倒錯ワールドが全面にみなぎる、背徳と退廃に満ちた、美しいばかりにいけない映画なのである。
原作は「愛すれど心さびしく」でも知られる、南部ゴシック小説のカーソン・マッカラーズ。“平和な時代の軍駐屯所ほど退屈な場所はない”・・・という書き出しで始まる、秘めたる欲望の物語は、実際に起こった事件を題材にしている。
1940年代初頭のジョージア州、深い森に囲まれた陸軍の駐屯地。そこに暮らすウェルドン・ペンダートン少佐(マーロン・ブランド)と妻レオノーラ(エリザベス・テイラー)の中は冷え切り、寝室も別にしていた。なぜなら、夫は同性愛者だったからだ。そんなレオノーラの情事の相手は、ペンダートンの親友でもある、ラングドン中尉(ブライアン・キース)。ペンダートンは、妻とラングドンの仲を知りつつも、友を憎む事ができない。なぜなら彼は妻の「愛人」たちを愛してしまうという哀しい性癖の持ち主だったからだ。そしてラングドンの妻アリスン(ジュリー・ハリス)は、数年前に障害のある子供を生み、精神不安定になっていた。
ある日、乗馬に出かけたペンダートン夫妻とラングドンは森の中で、全裸で馬を乗り回す、ウィリアムズ一等兵(本作がデビューの、若きロバート・フォスター!)の姿を見かける。ペンダートンの眼は異常な光をおび、ウィリアムズの姿を求めて森のなかを彷徨うようになる。一方ウィリアムズ一等兵は、森で出会ったレオノーラの美しさに惹かれ、夜ごと寝室に忍び込み、部屋の片隅に座り込んで眠れる美女の肢体に魅入る。そしてレオノーラの寝室に出入りするウィリアムズの人影を見たアリスンは、それが自分の夫・ラングドンではないかと勘違いし、さらなる情緒不安に陥ってゆく・・・。5者5様の倒錯とエゴがいびつに絡み合い、悲劇的な結末へと物語は突き進んでゆく―
原題の「Reflections in a Golden Eye」とは(孔雀の)黄金の眼に映った、グロテスクに歪んだ複数の像=つまり、一見華美に見える階級社会に潜む、人間たちの醜悪な本質を象徴した言葉である。
ジョン・ヒューストンは、この“Golden”というキーワードにこだわり、映画全体の色調を黄金色に輝く「ゴールデン・トーン」でプリントした。しかしスタジオ側はモノトーンの色彩を嫌って、公開からたった1週間で普通のプリントに差し替えてしまったという。その野人ぶりで、ハリウッドと様々な確執を生んだヒューストンは、ここでも煮え湯を飲まされることになったのだ。
現在、アメリカで発売されているDVDは、ヒューストンが切望したゴールデン・トーンでプリントされたバージョンで観ることができる。特典として収録されている予告編はノーマルのプリントのため、その画質の差異を比較する事ができて大変興味深い。
マーロン・ブランド主演作は意外と日本でDVD化されていない作品が多い。撮影のために実在した帆船の完全なレプリカを建造(現在も世界を航行中だという!)してしまった「戦艦バウンティ」など、ハリウッド黄金期のきちがいじみた映画魂を、いま一度孔雀の黄金の眼・・・ではなくお茶の間のモニターに映し出して魅入りたいものである。
映画マニアたちの秘めたる“欲望”にぜひとも光を!
情事
音楽は個人の好みなのでこの音楽はイイ、ワルイはないと思います。その上で矢沢サウンドはあまり好みではない、私でもこのアルバムは好きです。まずタイトルからジャケットから感じられる大人の不良的な雰囲気、少し前にチョイワルなんて言葉がありましたが、その元祖的存在は日本においては、この方のこのアルバムでは、HR,HMが好きな私もこのアルバムだけは好きなアルバムです。最初から最後までアルバム全体を支配する。矢沢さんの大人の不良の美学日本人的な泣きの美学が聴けます。不良というと聞こえは悪いですが、このアルバムは不良=格好イイ男、そんな事が体験できるアルバムです
情事 [DVD]
「愛の不毛」「不条理」「Perche,perche,perche?」ばかりが強調されているが、非常に単刀直入な解り易い映画である。私はアントニオーニ監督の作品は概ねダイレクトで非常に共感を覚えるのだが、それは見方が浅いのか、単に自身がおかしいのか? 建前や理屈よりも本音の感覚が特に恋愛では優先するというのは当然だと思うからだ。女性的魅力と理性、さらに母性愛も兼ね備えたモニカ・ヴィッティは最高で、荒涼に辟易した男性が彼女を求め、また裏切り、坊やのように慰められるラストが絶品である。主題曲も最高!