ぼくの大好きな青髭 (新潮文庫)
日本版サリンジャー。庄司薫さんの小説を読むと、そんな言葉が頭をよぎります。繊細で、正直で、ユーモラスで、悲しくて、それでもどこかにたくましさもある。インチキな世界とどうやって向き合っていけばいいんだろう、ということについて真剣に悩んでいる小説だと思うのです。
この小説は”赤頭巾ちゃん気をつけて”に始まる四部作の最終作で、青年が抱く夢の壮大さとちっぽけさと、それを利用して青年たちの夢を殺そうとする大人たちの世界の対立がテーマですが、小説としてはチャンドラー的なセンチメンタルさとドライさも感じさせる地味な冒険小説になっていると思います。ちょっと一歩引いた視点の「ぼく」を主人公にして、世界を冷静に、それでいてちょっとユーモアを交えて眺めながら結局は自分自身とむきあわざるを得なくなるという筋書きをエンタテイメント風味で描く手法は村上春樹の「羊」「ダンス」「スプートニク」とかぶりますが、こちらのほうが先に書かれています。むしろ、村上春樹は庄司薫を意識してたんじゃないかなーなんて思うところもあります。
友人の死(正確には自殺未遂)によって主人公が巻き込まれる、ある小さな冒険。世界がゆらぎ、自分がゆらぎます。それでも・・・。
僕が生まれる前に書かれた小説で、僕が読んだのは21世紀に入ってからなんですけど、それでも共感せずにいられないテーマが描かれていますし、話としてもおもしろいです。ユーモアや登場人物のしぐさの繊細な描写は、とてもサリンジャー的です。でも、日本人らしさがちゃんと感じられるのが良いと思います。クライマックスは、地味だけど、ちょっと感動的な不思議な味わいがあります。
若者と、若者だった人にオススメです。素晴らしい小説だと思います。
さよなら快傑黒頭巾 (新潮文庫)
この人の作品群は一読したときは
さらっとしているせいで
誰でも書けそうな感じがしますが、
じっくり読みかえすとねかなりの筆力で構築されていると感じ取れます。
あの時代に大学生だった私には 情勢がよく分かりますが
平成生まれの人にはマルクスだのレーニンだの
ピンとこないかも。
それにしても
ソ連が消滅するとは
当時は思えなかったですね〜
ショスタコーヴィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番、同第2番 (Shostakovich : Concertos for Violin and Orchestra Nos.1 & 2 / Sayaka Shoji, Ural Philharmonic Orchestra, Dmitri Liss) [日本語解説付輸入盤]
日仏先行リリース。殆ど抜き打ち的に登場した庄司紗矢香のミラーレ移籍第二弾は、待望のショスタコーヴィチ協奏曲集であった。共演はドミトリー・リス指揮ウラル・フィルハーモニー管弦楽団。2011年8月、ロシア・エカテリンブルクのフィルハーモニーにてセッション録音。全2曲7トラック、総収録時間69分12秒。
ここに収められた二つの楽曲は、オイストラフやコーガンなどの初期録音を除けば、ロシア/東欧系独奏者と西欧オケの組み合わせで聴くことが多かった。本作はそうした流れの、ある意味逆を突く企画であり、そこに「進境著しい庄司の新作」という話題性に止まらぬ意味と価値がある。
注目の第1番。冒頭のノクターンから、分厚い雲に覆われた平原で、独り霧雨を払うようなヴァイオリンの音色が印象的。前作バッハ&レーガー:無伴奏ヴァイオリン作品集でも聴かれた内省的な表現は、この独奏者の真骨頂ともいえるもの。
続くスケルツォは一転してエッジの効いたフレーズの切り返し。音程は完璧、テンポ設定も自然で、かつ絶妙な肩の力の抜け具合は流石である。
そしてこの演奏の白眉と思えるのが、パッサカリアからカデンツァの流れ。約9分+5分の長大な楽章だが、ここでの庄司の演奏は、沈痛な旋律を原色的に響かせる欧米流儀とは一線を画すもの。渋めの色調を貫くフレージングに、無限の憂いを宿すところなど、この楽曲を長年弾き込んだ彼女ならではの至芸だろう。
ただし、ここまでは肯定的に受け止められた感情の抑制が、カデンツァから一気になだれ込むブルレスケでは、ややダイナミズムを殺ぐ結果を招いたように感じられるのが惜しい。
これは冒頭のティンパニの音程感の欠如や、高音部が抜け切らない弦楽器群(どちらも“録り”の問題)、そして指揮のリズムの重さも関係しており、このため独奏ヴァイオリンともども、終結部に向かって一気呵成にたたみ掛ける疾走感を欠く結果となった。
反面、そうしたオケの緩さと重さがポジティヴに作用しているのが第2番。ショスタコーヴィチらしい乾いたユーモアと、プロコフィエフ的なグロテスクさを併せ持つこの楽曲では、過去の録音をほとんどあらゆる点で凌駕すると言いたい快演が聴ける。
モデラートの軽妙なやりとり、調性感の薄い旋律が延々と続くアダージォ、そして打楽器との掛け合いに挟まれた終楽章のカデンツァは、まるでパントマイムを観るような視覚感に満ちており、この楽曲の魅力をこの演奏で再発見される方も多いはずだ。
本作を手元に置き、ここまで集中的に聴いた印象としては、第2番は文句無し。当初やや期待はずれと感じた第1番も、聴き返すにつれ熾き火のような魅力がじわりと浸透してきた。
惜しむらくはオケ録音の抜けの悪さだが、収録会場を写真で観る限り、これが実演の音に近いのかもしれない。箱庭的な緻密さとは別の価値を求めた録音であるなら、制作側の狙いは成功しており、それが第2番の高い完成度に結実していると言うべきだろう。
戦場のヴァルキュリア 2 [DVD]
第3章「第7小隊誕生」
攻略拠点そのものに固執せず、利点を最大限に使い
盲点を突いた電撃作戦がなかなか爽快です。
特に敵陣へほぼ垂直で乗り上げるエーデルワイス号の
勇姿には思わず声をあげてしまいました。
作戦そのものは面白かっただけに、出来れば作戦完了までの工程を
端折らず緻密に描いて欲しかったですね。
第4章「束の間の休日」
上に立つ者、部隊を牽引する者によって異なる
戦略、戦術の違い、戦局への影響を感じさせられる点が
興味深かったです。ただ、肝心のその他の隊員達の
日常風景描写が少なめで次回に向けて一息付くには
やや物足りない印象を覚えました。
第5章「クローデン奇襲戦」
戦いへの恐れを盛り込んだ展開が少なく残念でしたが、
前回を牽引して、司令官の器と采配を双方で推察し、
手を読み合う人物描写がなかなか巧妙でした。
強引に敵中突破をはかるアリシアの逞しさも秀でており、
今後の展開にも期待が掛かる面白さを体感できました。
赤頭巾ちゃん気をつけて (新潮文庫)
四年ほど前に中公文庫版で読みましたが、新潮文庫版の刊行を機に再読しました。
前回読んだ時もとても感銘を受けたのですが、今回の再読で特に印象に残ったのは
物語後半で「芸術派」の親友・小林が薫くんに打ち明けた「泣きごと」が、
『斜陽』の直治による遺書と少し似ている点でした。
薫くんのような親友がそばにいたなら、直治も…などと考えてしまいました。
また、「あわや半世紀のあとがき」での「オレタッチャッタ」お方や、
「オレナイチャッタ(かもしれない)」お方のお話を楽しく読みました。
一方で、苅部直氏による解説の「知性のための戦いの小説である」という(毅然とした)評価には、少し違和感があります。
たしかに、薫くんは上記の小林の「泣きごと」やその他諸々の事情で、「敵」と「戦い」寸前のところまで追い込まれはしますが、
ギリギリのところで(踏まれて)踏みとどまり、何とか自分を取り戻します。
それを可能にしたものこそが、薫くんの(憧れてやまない)「知性」なのであって…
「知性」によって「敵」を赦すことで「戦い」を回避し、薫くん自身もまた赦された物語、と私は読みました。