地獄―西岡兄妹自選作品集
昨日と今日の境目がなくなる。朝何時に起きたか覚えてない。それも「あれ今日何時に起きたっけ」と夕方の湯船でそう思う。ある日とつぜん人は壊れるのだな。どうやら仕事をクビになるようで、現在三十路目前、独身。学歴、免許、協調性なし。つぶしがきかんな。そう、つぶしがきかんな、などと人から面と向かって言われました。そんな夢も希望もないとき手にしてしまったのがこの本。読んでたいへん驚いたのが、西岡兄妹との出会いはこれがハジメテではなかったということ。実家にあった「ガロ1992年6月号」に掲載された「顔のない女について」がこの「地獄」に収録されており約十年の時を経て、まさか再会しようなどと。フヒヒ。変な声がでます。
神の子供
残酷さや猟奇さ、刺激・衝撃をお求めの方には物足りないかも。
私は大越孝太郎先生や丸尾末広先生が好きなので、そういった先生方の作品と比べて刺激を求めて読むとたいしたことないなぁと。
死体の絵もあり、子供の純粋な悪意のない殺意なんかはありますが、
もともとの絵柄がかわいらしい・淡々としたものなので、 絵からの恐怖・刺激も私はありませんでした。
しかし、その絵やストーリーの持つ独特な世界観は感心する部分もあり好きです。
心地よい残酷さがありました。
はまる人ははまると思います。
孤高の画壇
インストポストロックといえば、ややこしい変拍子に複雑怪奇で長尺な展開、一見さんお断り的な敷居の高さを想像する人が多いだろうと思う。
そして、自分もそんな思い込みにとらわれていた、ということを気づかせてくれたのが、この虚弱。である。
平成生まれの女子四人組インストポストロックという派手な謳い文句にばかり目が行きがちだが、このバンドの本質はそこからさらに一歩踏み込んだ場所にある。
オルタナティブとして、今までとは違う音楽を求めていた世代が創り出し発見してきたポストロックと呼ばれる音楽。
それが彼女たちの世代になると、もはやオルタナティブではなく、ごく自然に身近に存在している音楽となっていることが、この孤高の画壇からわかる。
「人と違ったことをやってやろう!」とか「新しい音楽を創ろう!」という聴く人間に緊張を強いる肩に力の入った姿勢ではなく、ただ好きな音楽がそうだったからこうなった、というようなあり方。
当時は革新的であったろう体操の技が、今となっては「なんでそんな誰でもやってる技で大騒ぎしていたの?」みたいに見られるようなあり方。
ゆえに小難しさも取っつきがたさもない、非常にポップであり間口の広いインストポストロックを創り出すことが出来た。
初音ミクをフューチャーしてみせたというのも、この彼女たちでしか出来ない発想だったろうと思う。
ポストロックが追いついた世代、ポストロックから「ポスト」の文字が消え「ポップ」に変わりつつある世代の生み出した音楽が虚弱。であると思う。
「ポスト」が「ポップ」に変化していくインスト音楽の未来の種がこの孤高の画壇にはある。
小難しいことは考えず、手にとって楽しめばいい。
これは自然体になったポストロックなのだから。