『ワン・プラス・ワン』というタイトル通り、ストーンズとゴダール、そのストーンズのレコーディングのドキュメンタリーとゴダールらしい政治的、思想的なイメージがタッグを組んだ野心的な映画です。
このときゴダールがなぜストーンズを選んだのか、なぜ『悪魔を憐れむ歌』という曲だったのか、当時のストーンズを知らないので何とも言えませんが、この曲を選んだことにより、今この映画がカルトな1本になっているような気がしないでもありません。
たしかこの時期のミック・ジャガーは悪魔信仰の噂があったり、ケネス・アンガーの悪魔的イメージの映画に出演しているのを見たことがありますが、このフィルムの中の彼らの存在はその呪術的な音楽も含め、時代の空気を体現していて、かっこいいと思いました。
ゴダールの政治的メッセージは当時の世情や知識人の思想傾向を知らないと理解できないことも多く、見るのに少々忍耐を強いられますが、何においてもセンスのいい人なので、ちゃんとカラフルでポップなイメージに変換してあり、エステティックな面でも楽しめます。
『悪魔を憐れむ歌』のアレンジがどんどん変わっていく過程そのものが面白いので、やはりラストはゴダールの意図したように完成型の曲はないほうがいいですね。
この映画の最大の魅力は変化と発展を追うことですから。
ワン・プラス・ワン/悪魔を憐れむ歌 [DVD]
『悪魔を憐れむ歌』の制作過程を通じて、ライブとはうってかわったミックの冷静な現場監督っぷりと去り行くブライアンの対比が……というのはいいとして、残り半分、ブラック・パンサーだとか『我が闘争』だとかの朗読/インタビューコントに延々と付き合わされるのには退屈した。この時期ゴダールが(ミックも?)左翼にかぶれていたのだかなんだか知らないし、もちろんそれらが社会的に重要じゃないということでもない。ただ、部分的に朗読を聞かされても困惑するだけ。また、ストーンズ(ワン)とブラックパンサーその他(ワン)と捉えて、これらを足したらどうなるだろう、何かになるのか、あるいは何にもならないか云々なんて問いも、できないことはないかもしれない。でも、それがどうした?
ストーンズに密着したM・スコセッシの新作がいよいよDVD化されるが、その前にJ・L・ゴダールによるストーンズとのコラボレーション・フィルムが再販。完全版と銘打たれたのは、従来のゴダール版に製作者が商業ベースを考慮して再編集した版が加えられたのが理由だが、監督の意向ならいざ知らず、特にペアリングする意味も感じられないし、ゴダールが激怒するのは当然だが、正直両者には一見しただけでは殆ど違いはない。むしろ、演出指導や"現実"への映画の係わり合いを語るゴダールの姿が見れるメイキングが貴重。
映画は、68年ロンドン、新作アルバム製作中のストーンズのレコーディング風景と黒人過激派ブラックパンサーらによるアジテーションと寸劇をシンクロさせ、楽曲と革命の成り立ちを追った伝説の作品。当時、ゴダールもM・ジャガーもブラックパンサーを熱烈に支持していた。
全編長回しの多用だが、名曲「悪魔を憐れむ歌」誕生までの軌跡が窺えるのが、ストーンズ・ファンには何より魅力だろうが、アンヌ・ヴィアゼムスキーが狂言回し的に何度となく登場し、壁や塀にスローガンを落書きしたり、マオ主義、ボリビア革命、「我が闘争」ら政治的テキストの引用に黒人解放運動の意味と経済的根拠らがインサートされる革命劇はどう映るのだろうか?
ライブでの躍動感とは打って変わってのミックの知的で静かな創作風景と後の自殺を予見する様な淋しげなB・ジョーンズが印象的。
それにしても、40年を経た今日でも色褪せないストーンズの神話的パートと、今日では虚しく忘却の彼方の如き革命劇のパート。68年から遠く離れて、とのフレーズを感じずにはいられないが、若い世代には、これもポップと映るのかも知れない。
ブラームス:VN協奏曲 二長調
ピアノ弾きでありながら、とある機会にこの曲の伴奏、もちろんピアノで弾いたことがある。その時にこの曲にのめりこみ、本当に素晴らしい時をすごした。それにしてもブラームスのこの時期のOP.70~90は円熟の筆から生まれた名曲揃いで、この協奏曲の他ピアノ協奏曲2番、8つのピアノ小品、交響曲2番、3番等本当に素晴らしい。さてこの演奏は非のうち所がないほど素晴らしい。ヴァイオリニストにとって難曲に入るであろうこの曲をシャハムはテクニックはもちろん豊かな音楽性と美音で歌い上げている。アバド&ベルリンフィルの好サポートも見逃せない。