ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第2番
日本の戦後ピアノ界で獅子奮迅の活躍を繰り広げた女傑、田中希代子の演奏である。
田中は、1952年のジュネーヴ国際音楽コンクールで2位になり、1953年のロン=ティボー国際音楽コンクールで4位に入賞するなど、日本人として、初めて世界のコンクールの歴史に名を刻むことを許された人であった。
1955年のショパン国際ピアノ・コンクールでは、新しい採点方式を用いられたために、10位入賞という結果になった。この時に審査員を務めていたアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリは、田中とアシュケナージの得点配分に納得せず、憤慨して審査を棄権することとなった。
なにはともあれ、田中はショパン・コンクールの10位入賞として名を刻まれることとなり、今でも、ショパン・コンクールの公式サイトで確認することが出来る。
(余談ながら、1965年に中村紘子がショパン・コンクールで4位入賞を果たし、「日本人初の入賞」と喧伝されているが、ショパン・コンクールの公式見解では、1955年の田中の10位が日本人初の入賞記録である。)
渡邊暁雄の指揮する日本フィルハーモニー管弦楽団をバックに、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番とラヴェルのピアノ協奏曲を演奏しているが、どちらも田中がピアニストとして脂の乗っていた時期のものであり、オーケストラを煽り、焚きつけるほどの気迫が感じられる。
ラヴェルのほうは、オーケストラが、録音状態を含めて本調子ではない。しかし、田中のピアノの冴えによって、オーケストラの演奏技術の拙さがフォローされたような奏楽になっているのが興味深い。
田中は、その後膠原病を発病し、中村の活躍を尻目に引退を余儀なくされるのだが、この演奏を聴く限りでは、中村もかくやと思わせるほどの鮮烈さを感じさせる。
このようなピアニストが、日本に存在していたことを、是非とも忘れないでほしい。
田中希代子―夜明けのピアニスト
才能に恵まれたピアニスト田中希代子を知らなかった人には、とてもよく書かれていて興味深く読めると思います。
しかし当時の世界の音楽界と日本の関係について著者なりの新しい視点が欲しかったし(特にハイフィンガー奏法うんぬんに関するくだりは中村 紘子女史の著述とかぶる事柄が多く関心しなかった)そこでのピアニストとしての彼女のおかれた立場や評価をもっと詳細に調べてほしかったように思う。(例えば演奏会批評やレパートリー、プログラム等の資料も欲しいところだ)
彼女の残した録音もCD化されているもの以外は調べられていなくて完全なディスコグラフィーとは言えないのが片手落ちである。
彼女のファン、音楽愛好家や専門家には少し物足りない内容で残念。
石川庸子さんの「原智恵子 伝説のピアニスト」や青柳いずみこさんの「翼のはえた指」はこういった点からもっと読み応えがありました。
田中希代子~東洋の奇蹟~
田中さんの演奏はとても力強く聞き応えがある。
残念なのは、ベートーベンのオーケストラが若干ピアノ負けしていること。
ヨーロッパのオーケストラのモーツアルトと聴き比べると若干おとって
しまっているのが残念。
結果として、☆3つですが田中さんの演奏を堪能できる
すばらしいCDであることは間違いないと思います
ドビュッシー・リサイタル
田中希代子さんは60年台に活躍されたピアニストですが、病が若い気鋭のピアニストから表現手段を奪い引退を余儀なくさせました。田中さんは引退後は後進の育成に力を発揮され、96年に64歳でこの世を去られました。田部京子さんとかが愛弟子です。いま、AVEXから売り出し中の菊池洋子さんは最後のお弟子さんだそうです。60〜70年台にN響のコンマスをされた田中千香士さんは弟さんです。
さて、この「子供の領分」は、私にとっては思い出のある盤で、私が中学生の頃である70年台前半に親から買い与えられたものです。私は、この盤をきっかけにしてフランス音楽にのめり込んで行きました。録音はそのさらに10年前の61年。70年には既に田中さんの指は動かなくなっていたとのことです。(当時はLPでした。ちなみに今日、当時のLPを手に入れようとするとヤフオクで10万円くらいします)
演奏は、聴いていると自然に体が動き出すような、生理的に無理のない演奏で、かつワイセンベルグのように点描画を描いていくような正確なリズムが緊張感を作り出し、うまいバランスの上に成り立っています。
なお、日本人の女流で、田中さんの演奏に匹敵する演奏はその後見当たりません。(キキ柏木さんという方の演奏は、次点に推薦できると思いますが・・・)