新装版 雪明かり (講談社文庫)
四十を超えて初めて読んだ時代劇小説です。
暇つぶしに手に取った文庫でした。
しぶい。とてつもなく、しぶい。
チャンドラーやエルロイや北方(現代もの)とも違う、人間の襞の描き方。
心に染み入る文章とはこのような文章なのでしょう。
日本のハードボイルドとは、時代劇にあったのですね。
「穴熊」は、まさに絶品でした。
潔癖、完全は、時に、絶望的な自己満足になってしまうということが、
悲しくもあり、高貴にも感じました。
藤沢周平を読まなかったことを悔やみ、読んだ偶然に感謝します。
小川の辺 [DVD]
「山桜」で静謐な美しさを演出した篠原哲雄監督+凛とした男を演じた東山紀之コンビの二作目。
この映画、メリハリが効いた面白さやカッチリとした落としどころがあるストーリーを好む人にはあまり面白くないかも知れない。前作以上に一つ一つの自然の描写と登場人物の心情の微妙な動きを絡ませて静かに描く。
主人公の戌井朔之助は殿様の命により、妹の婿である佐久間を討つことになる。戌井にとっては耐え難いことだが、封建時代に生きる武士としては逆らえない。だが、決して一方的に流されるわけでもなく、自らの矜持の中で受けとめている。こんな生き方は、どの時代でも難しいことだと思う。
東山は抑えた演技で微妙な心の変化をさりげなく表現していたと思う。
行徳までの旅のシーン、母子連れとの会釈、夫婦連れを優しく見つめる眼差し、困っている百姓をさりげなく手助けする…全体的には派手なシーンは少ないが、よく観ると主人公の生き様、心の在り方が、緑豊かな風景の中で訴えかけてくる。
結局は佐久間を討つが、田鶴には自由な生き方を許す戌井。藩意には逆らわないが、さりとて流されているわけでもない。
「山桜」でも感じたが、篠原監督は極力派手な演出を抑えて一つ一つの情景から登場人物の心情を印象的に残す演出をしているように思える。前半にもう一つ山場があったり、田鶴をもう少し描きこんだらさらに面白かったのでは、とも思ったが、そんな構成は篠原監督の意図とは異なるのだろう。
助演陣では、松原千恵子や尾野真千子が良い雰囲気を出していた。笹野高史の出番がもう少し多かったら、画面にメリハリが出たかも知れない。ただ…菊池凜子は悪いとは思わないが、あまり江戸時代の日本人のような感じがしなかった。硬質で意地のある女性を想定してのキャストだったのかも知れないが…。むしろ尾野真千子にこの役をやらせたら、個性豊かに演じてくれたのではないか…などとも思う。
驟(はし)り雨 (新潮文庫)
この作品には、昭和を生きた日本人の心がある。
私の親世代なら普通に持っていた日本の心なのだが、
団塊の世代ぐらいから怪しくなってきた。
我々の世代ではかろうじて残っていると思いたいのだが。
この作品と、登場人物の心理は、未来永劫に伝えていかなければならない。
さて、ここの作品の中で、私の胸を一番打ったのは、「捨てた女」だ。
信助と自分が似ているからかもしれないが、とにかくいろんな思いにとらわれて、
しばらく次の作品に進めなかった。
山形 方言かるた
山形に転居して来て2年半、未だに分からない言葉がたくさんある中で、この方言カルタの発売。
いの一番に購入し、毎日特訓、でもまだまだです。
特にお年寄りのアクセントが全く分からなく、文字だけではニュアンスが伝わってこず、苦慮している毎日です。
しかし独特の山形方言には温かみを実感しております。
蝉しぐれ (文春文庫)
風景描写が素晴らしい。精緻な文章とはこうゆう文章を言うのだと思えた。
純粋な文章の表現力に驚くことは少いが、GWに実家で父親の本棚にあったこの作品に驚いた。ファンが多いのは知っていたが、藤沢周平が優れた作家であると遅ればせながら知った。
主人公は江戸時代、北国のとある藩の下級武士の子である。当時の武士の子弟は儒学や剣術に励み、将来の官吏としての修行に励む。幼少から主人公は剣に抜群の才能をみせる。
藩の権力争いによる父親の横死などの困難に耐えながらも友情や剣術に励む姿が描かれる。その話の展開は無駄が無く、無理が無い。
奇抜な展開で構成された小説と対極に位置するような、丁寧な描写と無理の無い展開による構成は同時に強い説得力とリアリティを持つ。
主人公は平凡な半生を送るのではない。しかし、抜群の剣の腕前を持ちながらも、やはり主人公は普通の人間であり、藩という組織の内部抗争に翻弄される下級武士である。剣は主人公を助けるが、主人公を超人にはしない。
主人公は良い結末を迎えるが、読後に残るのはやはり切なさである。不幸な結末となった人々や藩という組織の非常さ、抗いようもない下級武士の悲哀、過ぎ行く少年期、それらに対する緻密な描写が主人公の活躍があっても心躍る物語ではなく、切ない物語にしている。
印象的な場面が多々ある。
冒頭の自然描写。
物静かな父が大声を上げて進言し、その確固たる良心に日頃の尊敬の念を深めた場面。
主人公が死罪となった父に思いを伝えられなかったことを悔やむ場面。
刑死した父の遺体を荷車に載せて牽く主人公の描写。
先輩の官吏に従って野山に分け入って農村を巡り、稲の作柄を相談する場面。
上げればきりがないが、精緻な文章がそれぞれの名場面を表現しており、それらが無理のない展開で連なっている。
それぞれの名場面の描写はおそらく、作者が相当の労力を掛けて書き上げた労作と思われる。そう思えるほど良く練られており、緻密である。