バッハマン/ツェラン往復書簡 心の時
ある意味でこれは戦後のドイツ文学のなかで最も恐ろしい本である。
男は詩で名をなした。
だがその詩は戦中のユダヤ人虐殺に関わるものだったので、男は周囲からの心ない誤解によってやがて壊れていく。
かつて恋仲にあった女は、男の妻といっしょになって、破壊を食い留めようとする。
だがその男は聞く耳をもたない。
男は自殺する。
女と妻は男の死後も、励まし合っていく。
女のほうが男よりも強かった。
だがそんな男を守ろうとする女のけなげさに絶句するしかない。
結局は投函しなかった191番目の手紙が辛い。
(きわめて丁寧なこなれた訳だが、あともう少し工夫(とくに編者解説)がほしかったので-1。
例1
―は――にしないと読みにくい。
例2
279ページ 主文−複文、主語−述語が、分かりにくい
私は、あなたが私を一人の信頼のおけるアンチ・ナチという役割に還元するのではと、少しばかり危惧しています。あるいは一人の信頼のおけないそれという役割に、もし私がこのブレッカー批判にあなたが期待するように反応しなければ。
訳者の本格的な著書が読みたい。)
思索日記〈II〉1953-1973 叢書・ウニベルシタス
アレントが思索し、著作をまとめる際に用いたであろうノート、という第一級の
資料です。ページを拾って読んでいくと、『全体主義の起原』や『人間の条件』、
『革命について』などの成果につながる断片が見て取れます。そういった意味では、
この書は単独で読むよりも、アレントの諸著作とあわせて読むことでおもしろさが
倍増するのではないでしょうか。
一読して感じるのは、アレント自身の思想的な興味の移り変わりです。彼女の思想その
ものはかなり一貫しており、全体主義との対決姿勢に基づく、複数の人間によるaction
(相互コミュニケーション行為)を中心とした新たな政治性を主張することに費やされ
ていると思います。しかしそうでありつつも、晩年の『精神の生活』に代表されるよ
うに、精神的な領域の問題へとその興味は徐々に移り変わってきます。
50年代のアレントは、活動的生活の記述に多くを割いていました。その後アイヒマン裁判
を経て、彼女は「思考」や「判断」等の人間の精神内部の活動の分析にそのエネルギーを
向けるようになります。それゆえ人間の外的世界の活動だけでなく、内的・精神的世界
という軸が、徐々に形成されていくことになります。
「思考」をめぐる問題への指摘は、すでに1953年の日記の時点から存在していました。
それが20年の時を経て、『精神の生活』へと結実していくさまはかなり興味深いもの
があります。本書からはその流れをはっきりと見て取れる、と言ってよいと思います。
そしてその裏づけとなる莫大な教養。古代ギリシャからライルまで、あるいはカフカや
プルースト、ヴァレリーなどが様々に引かれており、またアレント自身の散文や文学論
も散見されます。
アレントの著作を呼んで興味を持った方は、その執筆時期の箇所を読むだけでもかなり
おもしろく感じるのではないでしょうか。少々値が張りますが、買って損することはない
と思います。