漱石の疼痛、カントの激痛―「頭痛・肩凝り・歯痛」列伝 (講談社現代新書)
すでに故人となった著者には類書が何冊かある。私の手元にある本は痛みの話題につながる美術作品を紹介する本であるが、私は一般書として楽しむよりは、専ら医学書として調べものに使っている。著者はかつて、痛みに関して日本の第一人者であった。痛みのメカニズムについて、専門的な本を読む時間がない、けれどもスライドを作らねばならない、そういうときにお世話になった。それは、痛みに関する私の知識がそれで足るほどに未熟であることの他に、著者の書き方にも原因がある。美術の話題から医学の話題に逸れてしまい、それが詳しく論じられて、しばしば戻って来ないのである。著者の他の本を手にとってもレジへと運ばなかったのは、同じ理由による。芸術関係の話題は、釣りで言えば「エサ」に過ぎない、ようにみえてしまう。これは結局のところ普通の医学書ではないか、と思ったら、専門領域以外の本に手を出す余裕は、時間的にも心理的にも経済的にも、ない。
本書は紛れもなく一般向けに書かれた本である。過去の著名人や芸術作品を採り上げ、部位別あるいは原因別に、痛みについて論じた本である。手元の本よりはエピソードの説明が多い。知らないことも少なくなかったので、興味深く読んだ。それでも医学知識の記述が多過ぎると感じる。
思うに、著者は大変まじめな方だったのだろう。説明を始めるとつい深入りしてしまうのではないか。医師である私でさえ面倒になるような記述がかなり多い。医学の解説は2000年当時の知識であり、用語など若干古くなったところもある。こうした部分については、一般の読者は読み飛ばしてもよいと思う。エピソードの部分だけ読んでも、意味は十分にわかるし、それで十分に面白い。該博な知識とこれだけの筆力があるのだから、医学は刺身のツマにして、もっと遊んで下さればよかったのに。