ブラームス:VN協奏曲 二長調
ピアノ弾きでありながら、とある機会にこの曲の伴奏、もちろんピアノで弾いたことがある。その時にこの曲にのめりこみ、本当に素晴らしい時をすごした。それにしてもブラームスのこの時期のOP.70~90は円熟の筆から生まれた名曲揃いで、この協奏曲の他ピアノ協奏曲2番、8つのピアノ小品、交響曲2番、3番等本当に素晴らしい。さてこの演奏は非のうち所がないほど素晴らしい。ヴァイオリニストにとって難曲に入るであろうこの曲をシャハムはテクニックはもちろん豊かな音楽性と美音で歌い上げている。アバド&ベルリンフィルの好サポートも見逃せない。
(ストーンズの「悪魔を憐れむ歌」という未完成曲が最初にあり、それを知ってゴダールが映画製作に乗り出したのか?、それとも、映画が最初に企画され、そこでレコーディングされることになったのがたまたま「悪魔を憐れむ歌」であったのか? その製作過程を私は詳しく知らないが、いずれにしても本作で取り上げられたのが“ロックそのものを象徴する”傑作である「悪魔を憐れむ歌」のレコーディング風景であったことは、ひとつの奇跡であり大いなる喜びだ。)
作品は、単純にストーンズのレコーディング風景を追ったドキュメンタリーではない。
もしドキュメンタリーという言葉を使うとするなら、ストーンズが象徴する“ロック”と映像作家ゴダールが出会うことによって生まれた“ハプニング”を捉えたドキュメントであるというべきだろう。
廃車置場にたむろしてブルースや革命を語り、拉致した白人女性を射殺する黒人たち。
ドラッグや共産主義に言及しながら、どこかインテリのお遊びとも見える即興撮影に興じるひ弱な白人の若者。
エロ本の山に身を隠しながら、自らの思想を朗読し続けるネオナチ。
映像に関係なくバックで延々と朗読され続けるナンセンスな政治小説。
これら、ゴダールが“ロック”にインスパイアされ、当時の彼の左翼思想をともない創られたであろうイメージの数々。
そして、人間の裏側に潜むサタニズムとそのエネルギーを“ロック”の楽曲のなかに焼き付けんと、苛立ち苦悩するストーンズのレコーディング風景。
そのふたつが脈絡もなく交互に錯綜する“カオス”のドキュメント。
未完成をそのまま良しとして投げ出されたこの作品、人によって評価は分かれるところだろうが、60年代末期の“ロック”(そしてその象徴であるストーンズ)とヌーヴェルバーグのゴダールのエネルギーがぶつかって生み落とされた“ハプニングとカオスの記録”として、私には忘れがたい。
ワン・プラス・ワン/悪魔を憐れむ歌 [DVD]
政治性と音楽性、この二つの乖離を乖離としてありのままに、そしてシニカルに描いたのが、ストーンズの録音風景を撮ったゴダールの1968年の『ワン・プラス・ワン』です。
黒人による革命闘争と有名白人アーティストによる音楽録音。
ドゥルーズが言うように二つのモンタージュから何も生まれない、ということがこの映画のポイントです(技術的にもアンドレ・バザンのいうプランセカンス、移動撮影、一画面内での複数の色の配置が第三の意味を生むモンタージュを拒絶している)。
しかし、今日から見れば、ゴダールのシニカルな視点にも関わらず、ストーンズ(とそのファンによる)の黒人音楽志向、黒人への生成変化こそ政治性を含んだ社会的な変化だったと歴史的に言えるでしょう。
ゴダール本人はカメラマンの資質に還元しているようですが、ゴダール自身も本来はモーツァルトの人ですからロックを理解できないのは仕方ないですが、、、。