蹴りたい田中 (ハヤカワ文庫 JA)
一見、というか誰が如何見ても下世話なエログロ的?描写。異様にディープな民俗的知識。突っ込む元気すら急速に奪う、全くもってしょーもない駄洒落。それが田中啓文氏の全て、といっても過言ではないでしょう。
何故此処までやるの?…初読者は、必ずやそう自らに問いかけ、そして苦悩するに違いありません。
しかしながら、そうした作者の特性ゆえに、従来の文字表現が(余りに下世話なので?)描きえなかったものもまた仄見えてきます。特に此処では、「怨臭の彼方に」を推したいところ。読んでいる人間の嗅覚神経におかしな回路が形成されてしまいそうな、くどいまでのあの臭いの描写を、私はこよなく愛するものです(単純に私が下世話好きだから、という理由のみによるのではない)。何故此処までやるの?…と感じると同時に、その臭いの描写がもたらす不思議な生々しさ、過剰に濃密な空気の感触に驚かされます。「スイカズラの臭いがした」程度の通り一遍の表現では再現不可能な、異様な現実感。他の作家にはなかなか見出しえない類の感覚だと思います。とても下世話だけど。
しかし翻って考えるに、むしろ従来の文字表現こそが「におい」の想像力を軽視し過ぎて来たのかもしれません。今までの小説は、色彩・形姿の描写にはくどいまでに気を遣っても、此処まで(この場合は主として汚物系の)「におい」に気を配ったろうか―そしてその態度は、もしや不当なものだったのではないか。視覚イメージを優先させることで、人間と世界を想像/理解させる様式としての文字表現は自らを縛っていたのではないか。そう思わされます。仮にたとえ作者の個人的な嗜好に発したものだとしても、この執拗な駄洒落と悪臭の描写は、(地口としての)「ことば」と「におい」の想像力でもって、私たちが見慣れてきたものとは違う形のリアリティを描き出す可能性を持つように思えるのです。
妄想かもしれないけど。
猿猴 (講談社文庫)
『蓬莱洞の研究』など著者の一連の洞窟ものの系譜と、猿田彦伝承にまつわる伝承と民俗学、『聖徳太子訳未来記』に記された予言、ヒロインがずっと聞き続けたシャンバラの声など、さまざまのラインがからみあって、これまでヒトに追い落とされてきた「猿族」のリベンジが・・という、壮大な規模の物語。
登山が趣味であったヒロイン伊佐奈美江は、猿神の禁止した日に、真白山にのぼって吹雪で流産、翌年の同じ日には、仲間と同じ山にのぼって、得体の知れない不気味な猿のミイラを封じた土仏たちのおさめられた洞窟で、突然「猿神」に取り憑かれた男のせいで妊娠……というのが発端です。
生まれた子どもをうばいとった猿女会という教団が暗躍、子どもを取り戻したい奈美江に力を貸す埋蔵金発掘マニアの男たち、そして民俗学に造詣の深い探偵、岩波。彼らに後押しされて、「聖母」奈美江は、神話の地出雲から、孫悟空の故郷中国へ・・・教団は野人と呼ばれる猿人を操り、幻の猿族のシャンバラを探し求め、ついに明かされる謎、そして驚愕のどんでん返し・・・
この著者がもてるかぎりの奇想をすべて繰り出して織り上げた究極のSF叙事詩というべきでしょうか。最後までさきが読めず、どうしても本をおくことができずに読み終えました。一見、小さな家庭の主婦の気まぐれから始まったようなこの物語が、人類史をゆるがす大陰謀へとふくらんでゆく見事さと、著者がこれまで他の小説で十分に培ってきた濃い(ややグロテスクな)人物描写、神話伝承の絡ませかた、洞窟探険の迫力、そうしたディテールのリアリティにも感服しました。
「渾身の」と本の背にありますが、まさに著者にとって渾身の入魂の一作ではないかと思います。
茶坊主漫遊記 (集英社文庫)
関ヶ原の戦いから十数年。斬首されたはずの名将、石田三成が生きていた、という伝説を、著者流にユーモアとミステリの味付けをくわえて展開した連作です。
水戸黄門を思わせる老僧すがたの三成と、それを守る腐乱坊、また語り部である彦七の三人が、伝説にのっとり、米沢、彦根、備前、天草、そして薩摩へと旅をします。
著者の本領であるユーモアは、それぞれの地方の巧みな方言会話などにあらわれていますが、全体としては「面白うてやがてかなしき」歴史のあれこれの裏エピソードをひろってゆきます。黄門さまと同じように、三成もさまざまの事件を解決し、あるいは真相を見抜きますが、勧善懲悪が成るとは言いがたく、徳川の世もまだおちつかぬなか、あちこちに戦乱の余塵がくすぶり、豊臣方を慕うものもあり、キリシタン弾圧あり、滅びてゆくものたちの哀歌がつづられます。
幕府の密命を帯びて、三成を切るべく、ずっと彼を追ってくる柳生十兵衛がこれにからみ、なんと宮本武蔵もちらりと異相を見せたり。
最初の二話は、軽妙なミステリとしての面が強く、意外な殺人の謎を三成が解き明かしたり、仇討ちの相手を探し出したりしますし、各話も「茶坊主の不信」「茶坊主の童心」など某ミステリのパロディのタイトルになっています。
しかし、天草から薩摩のさいごのエピソードは、ミステリというより、歴史の敗者の最後の心意気というか、史実を踏まえた推量に心を打たれます。
戦いの騒擾とそのあとの余韻。歴史小説としての哀感が胸にひろがる佳作です。
水霊 ミズチ [DVD]
本作は一応、ポニキャンやYahooが製作を担当する「ホラー大作」だ。それを若手の山本監督が背負うには相当ムリがあったのではないか?演出力は別に年齢で優劣が決まるものじゃないが、活動写真の世界ではやっぱり「下積み」が必要だ。メイキングを観ると、山本監督はモニターで演出している。スタジオ上がりの監督たちは名だたる先輩にシゴかれるので、役者の横かカメラの傍にいるものだ。それが「今の芝居もカメラもダメ」と遠隔で言われてもなあ、という感じだ。百歩譲って仕上がりが良ければいいが、正直本編は最後まで観るのが大変だった(笑)。編集している時点で監督も「こりゃ支離滅裂だな」というのが分かったのではないか。だからサイドストーリーの「水霊縁起録」が必要になった、ということだろう。意外にもこの100分の出来はいい(笑)。こちらはYahoo動画でのみ公開されたようだが、できればこの作品を観てから本編を観たほうがいいだろう。本編で「?」だったいくつかのシーンの謎は解けます。結局これは黒沢組の快作「回路」をモチーフにしているのだろうが、足元の先にも及ばない。役者陣は井川遥、渡部篤郎、星井七瀬、山崎真美、柳ユーレイら面白い組み合わせなのに、本当にもったいない出来だった。ぜひ中田秀夫監督に撮ってもらいたかったなあ・・・。本編は星1つだが、演技録に2つプラス。