母の遺産―新聞小説
待ち焦がれた水村美苗さんの4番目の小説です。前作「本格小説」ではロマンの色濃い壮大な物語に心を奪われただけにこの10年のブランクは長く感じました。本作は「新聞小説」との副題がついていますが、「私小説」「本格小説」と続いた後ですから自ずとその文学史的意図は明らかです。つまり、読売新聞に連載されたので「新聞小説」なのではなく、明治の時代に夏目漱石や尾崎紅葉などの文豪が新聞小説を連載していた歴史に連なろうととの意図です。
主人公・美津紀は、若い女と同棲する夫のことに悩みながら重症の母の介護に翻弄される大学講師兼翻訳家の50代女性です。物語の前半は、祖母の時代からの家系をたどり、異常に身勝手な母に育てられた自分の屈折した精神状態を赤裸々に描きだします。「死んで欲しい」と願うのになかなか死なない母親の前に美津紀は疲労困憊し、憔悴し切るのです。母の死後にまとまった遺産が入ってきてからが後半の物語です。気分を晴らすために出かけた冬の箱根のホテルで過ごし、逗留客と交流するなかで、美津紀は重大な決心に至ります。中年女性の過去からの解放と自立の物語と読めますが、作者の意図はもう少し深いところにあるようです。最後の章、美津紀が眼下に広がる桜の花を観てこれまで自分を苦しめてきたた人々を赦し、幸せを噛みしめる場面は感動を呼びます。
緻密に計算され、縦横に伏線が張られた骨太の作品です。日本語表現の技術と語彙を駆使した美しい文体に感嘆しました、加えて見事な構成とその人物の顔つきや振る舞いが目に浮かぶほどの描写力には凄みさえあります。主人公には作者の家系や体験がかなり投影されているようで、近代文学の私小説の特徴も備えています。本作は、いま書店の店頭にあふれているおおかたの小説本とは一線を画する重厚で奥行きのある作品です。水村さんが著した先の3つの小説同様に、日本の近代文学の伝統を継承しようとする彼女の強い意思を本書でも感じることができました。この「母の遺産」を現代の優れた日本文学のひとつとして私は推します。
本格小説 上
物語を読む喜びを実感させてもらった。
読書の時間が物語の展開の時間と重なって濃密な世界の中にいる自分を見つける。これこそ読書の醍醐味。
日本語でこれだけの作品が生まれたのかと感慨がひとしおであった。
これだけの没頭ぶりは辻邦生氏の「背教者ユリアヌス」以来であった。
辻氏が現存であったらどれほど喜んだろうと思う。
まだ読んでいない貴方。
貴方は人生にまだ大きな幸せを残しているなんと羨ましい人か。
追:彼女の「続明暗」もよかったですよ。以上
私小説―from left to right (ちくま文庫)
既に何年も前に単行本とか新潮文庫で出ていたのを知っていたら、もっと早くに読んでいただらう。今回、同じ著者の別の本が話題になっているので思わず衝動買いをしてしまったが、正解であった。なかなか興味深いインテリ「帰国子女」の悲喜こもごもな留学生活の一端を日本特有の小説形式である「私小説」という様式で書き綴っている。
留学生である一方で「東洋人」であり、「東洋人」であるということは「黒髪の」「黄色の」「有色人種」であるということである。ということは「黒人」と同種に扱われて仕様がないと思われていた当時の世相・時代背景がある。
だから現地の日本人は、アメリカ人に侮蔑されるのを「住友さん」とか「松下さん」とか「三井さん」のように日本人仲間で徒党を組むことによって緩和しようとしている。おかしなことに、著者を含めたそうした日本人「ムラ」の村民が、韓国人とか、中国人、さらには他のアジアの国の人間に対して軽蔑の目を向けている。現地のアメリカ人にしてみれば、同じ「有色」人として、十派一絡げに扱われているのに・・・・・。
美苗(Minae)とその姉・奈苗(Nanae)の英語交じりの日本語での会話が中心になって話は進む。英語で書き表されている部分と日本語で書き表されている部分の違いは、何か基準があるのだらうか、英語でなければ表現できないようなことなのか、外国暮らしの長い本人たちの拙い日本語でも会話に支障がない部分なのであろうか。英語の部分は、それほど難しいものではなく、そこそこ英語ができる人なら、辞書を引かなくても充分にその面白さが理解できる。
「私小説」であることには間違いがないが、本書は日米の文化人の意識の違いを青春時代を現地に暮らしたものでないと書けない瑞々しさに溢れ、読むものを引き付けて止まない。