Victim of Stars 1982-12
本当に久しぶりに見たジャケット写真=「世界一美しい男性」。そしてライナーの写真=「かつて世界一美しかった男性」。この2枚の写真を繋ぐグラデーションがまさにこの2枚組CDだと思います。でも、変わったのはデビシルだけじゃなくて、おれらも同じように歳を取ったんだよ、ということを思い知らされる怖いCDでもあります。
21世紀になってから枯れたなあと思っていましたが、なんてことはない昔から枯れてましたね、ということがわかります。要は彼の音楽的なコア部分はほとんど変わっていなくて、リスナーである自分が変わっていったということです。そんなわけで、デビシルの変化を俯瞰するつもりが、逆に自分の変化を見せ付けられる結果となりました。おそろしいことです。
それにしても無視され続ける"Blue of Noon"が不憫。また入りませんでした。インストを入れないのはコンセプト的には正しいと思います。
そしてこのアルバム、ものすごくいいサウンドになってます。ゴースツは去年録音しなおしました、といわれたら信じるかもしれない。聞き取にくかったバンブーミュージック&ハウゼスのシンセが完璧に分離してますので、マニア的に非常に美味しいです。しかしこのスッキリしたサウンドは教授の意図したものとは遠い感じもするので、評価は微妙です。
いずれにしても、ただのベストアルバムなのにいろいろ考えさせられる作品でした。この人とともに青春を歩んで、歳をとってきた人も多いと思います。未だに現役でいてくれることに感謝して、次作品を期待したいと思います。
なお、戦メリのインデックス(開始点)がズレていて、バンブーミュージックのラストにかぶっています。なので戦メリだけ聴こうと思って飛ばすと、イントロがちょっと欠けます。これは不具合だと思うので、修正して欲しいです。CDを連続して聴く時には問題ありませんが、iTunesに取り込むとギャップ判定が危ないのではないかと思います。
スリープウォーカーズ
デヴィッド・シルヴィアンには2000年にリリースした傑作コンピ・アルバム『Everything & Nothing』で証明されてるように、このようなコンピものも絶対に侮れない。
またしても凄い。その一言。
いくら近年のコラボ作品の集大成といっても全てを網羅してるファンというのも限られるはずなので、単純に嬉しい限り。
当たり前だがシルヴィアンなので、ただ並べただけではなく一つの作品としてのトータル性も考えられている。ここが怖い。
そしてジャケット。
このデザインは反則でしょう。裏ジャケから中ジャケットは勿論、封印されてるインサートに至るまで全てが完璧なアートとして一級品の輝きです。
ソング・リスト併せて掲載しておきます。本当に素晴らしいです。
01. Sleepwalkers (with Martin Brandlmayr)
02. Money for all (with Nine Horses)
03. Ballad of a deadman feat. Joan Wasser (with Steve Jansen)
04. Angels (with Jan Bang and Erik Honor' aka Punkt)
05. World citizen - I won't be disappointed (with Ryuichi Sakamoto/Chasm mix)
06. Five lines (with Dai Fujikura/ previously unreleased)
07. The day the earth stole heaven (with Nine Horses)
08. Playground martyrs (with Steve Jansen)
09. Exit/delete (with Masakatsu Takagi)
10. Pure genius (with Tweaker)
11. Wonderful world (with Nine Horses)
12. Transit (with Christian Fennesz)
13. The world is everything (with Takuma Watanabe)
14.Thermal (with Arve Henriksen)
15. Sugarfuel (with Readymade FC)
16. Trauma (solo outtake from Blemish)
nobody 24
はじめてペドロ・コスタを観たとき、といっても後にも先にもそれきりなのだが、勿論『ヴァンダの部屋』だ、ガレルより“遅い”作家が出てきたと思ってびっくりした。
そのガレルが、デプレシャンを観ていると知ってさらに驚いた。だって、デプレシャンはモーツアルトのように軽やかだし、そのカメラの切り替しの速さは、目まぐるしく飛び交っている蛾を、まるで蛍光灯の光の下で追っているかのようなのだから。
本書と併せて、デプレシャンによるドヌーヴ論を読んだが、その才智はやはりドヌーヴの身体を通して、デプレシャン本人の洒脱さを伝えるものだった。
フィリップ・アズーリの言葉を文字通り、“重く”受け止めなくてはならない。私たちは泥のなかを這っているようなのだから。それでも重力というこの戒めを解いて、高みへと飛翔させるなにかを、私たちは“愛”と呼ばれるもののなかに求めるのでなければ、たとえそれが過去のものであっても、私たちはその“記憶”を引き継ぎ、“生きている”のであるから。