君が降る日 (幻冬舎文庫)
短編3つで構成された短編集。
私の印象に一番残っているのは、表題にもなっている「君が降る日」だ。
恋人の降一を交通事故で亡くした志保と
彼を死なせてしまった降一の大学の友人の五十嵐さん。
気が遠くなるような喪失感とやるせなさを抱えた二人を巡る話。
恋人が死ぬ、なんて、沢山の小説で消費されてきた
ありきたりで陳腐なテーマだが、この人が書くとやっぱり違うなぁと思う。
「死」は非日常的な特別なことではなく、あくまで日常の一部で。
例え亡くなったのがいくら自分にとって大切な人であっても
私たちはその人のいない人生を生きることができる。
それは残酷なことでもなく、人間として当たり前なのだと
淡々と、でも切々と描いている。
また、島本理生の小説全体に言えることだが、
この人は人間が持っている心の中の暗い部分を描写するのが上手い。
「『本当に、降一じゃなくて、俺が死ねばよかった。』
(中略)私は彼がその台詞を口にする瞬間を待っていた。
本当に悔やんでいるなら。誰よりも責任を感じているならと。」
人には言えないし、自分でも認めたくない部分。
だが、ただ主人公の良い部分だけを描写するよりも
ずっと人間らしさがあって好ましく感じる
人間と人間の係わり合いは難しい。
血のつながりも無い他人同士が一緒にいるということ。
結婚前の付き合いなんて、所詮口約束だ。
だけど、その口約束がどれだけ大事か。
そして、その口約束は普遍ではなくて、
それゆえにその口約束が有効な瞬間が、
どれだけ貴重なものなのかを、痛烈に感じた。
大切な人が死んだその瞬間に、恋人でいられたということ。
それは一種の幸福と言えるのかもしれない。
クローバー (角川文庫)
私自身は青春時代はとうの昔に過ぎたおっさっんですが
冬治のなんだか煮え切らないんだか
奥手なのだか
もどかしい女々しい状態に
もの凄く共感出来て
途中のたうち回りながらも
読み終わりました。
ちょっとだけ若返った気もします。
恋愛に関しても進路に関しても
将来の行き先は
誰もが悩みうるジレンマですが
冬治と雪村さん
男女でそれぞれ選択にあたっての優先事項が
微妙にずれているところなんか
絶妙だと思います。
ナラタージュ
中盤までは、少女小説めいた感じで今ひとつ乗れなかったが、
後半、小野が壊れ出すあたりからの緊張感に思わず惹き込まれ、
クライマックスからラストまでは「これぞ恋愛小説」という感じで、
読後感はそれなりに悪くなかった。
ただ、読み終わってしばらく経った段階で、
他のレビューを見ながら内容をつらつら思い返してみると、
(葉山先生みたいなダメ男のどこがいいのか理解できない、とか、
小野君のほうが全然萌える、みたいな意見が多かった気がする)
こういう言い方はやや穿ち過ぎのように聞こえるかもしれないが、
この話の底流には、根強い男性嫌悪が滲んでいるように思えて仕方がなかった。
何事にもそつがない小野のことを
たしかに好きだと思ってつき合い始めた泉が、
セックスの際に小野が見せる意外なまでの攻撃性に戸惑い、
強い違和感を募らせていく過程が描かれた後で、
柚子が暴行事件を苦に自殺を図るという挿話が差し挟まれ、
激昂した泉が、「犯人はまず去勢してから処刑すべきだ」と
葉山先生に向かって言い放つ場面があるのだが、
これは裏返しにするなら、泉が葉山先生に惹かれたのも、
彼からは男性特有の攻撃性が感じられなかったからだと言えはしないか。
(だとすれば、ダメ男なのがむしろ当然ということにもなる。)
考えてみると、演劇部の高校生とOB・OGという設定もあってか、
登場人物には文学部系のどこか植物的な人間が多く、
理系の学生である小野は結局そこから排除されてしまうわけで、
「他者」を排除した上で、似た者どうしがくっついているだけというのが、
泉と葉山先生の恋愛だと言うこともできるだろう。
とはいえ、恋愛とは得てしてそういうものでもあるわけで、
そのことは別にこの作品を貶める理由にはならないが、
男性嫌悪の物語として本書を読み解く批評があるとしたら、
ちょっと読んでみたいような気がしないでもない。