剣嵐の大地〈2〉 (氷と炎の歌 3)
翻訳岡部氏の言葉の的確な選択と、会話文の巧みな描き分けが この長編を読ませて眠らせない物語にしている。家人の叱責を受けながら、朝方まで読みきり、朝になってもティリオンの言葉を、登場人物の前途を頭の中で反芻してしまう。
作者マーティン氏は一体どんな人物なのだろうか・・・と、考えずにはいられない。さまざまな人を受け入れ付き合う度量があるのだろうと推測してみたり・・・
人が目を背けてしまう醜さの側面にあるどうしようもない純粋さ、、思わず寄って踏み潰してしまう一瞬の美しさとその裏の残酷さ・・・読んでいる最中は物語に引き込まれて、現実と対象して考えられないが、しばらく後に、ふと自分に置き換えて考えてしまう。
世の中の残酷さも汚物も猥雑も描ききっているのに、中学生のときに読みたかった、と思ってしまう。
きれいはきたない、きたないはきれい、そんな言葉が理解できる気がする。
大地のうた
お気に入りです。この方のピアノには10年以上前にも友達のおすすめで出会っていました。
いいなと名前は覚えていましたが、何年もたち映画(落下する夕方)を見てこのピアノの曲がどうしても欲しいとかなり探してみつけたものです。ジャケットは地味で購入意欲・・・ジャケ買いにはなりにくいですけど、いいですよ。このほかにも何枚か西村さんのCDは聞きますがこれが一押し。
大樹のうた 《IVC BEST SELECTION》 [DVD]
インドのサタジット・レイ監督によるオプー三部作の完結編。前2作同様、とにかくモノクロの映像が美しい。
オプーがカルカッタ駅付近を歩く姿、友人と舟で河を遡る場面、放浪の旅で目の当たりにする大自然・・などなど詩のような映像が随所で楽しめます。
俳優陣では、登場時間は長くないもののオプーの妻がとても良いです。
縁談のトラブルから突然オプーと結婚することになった不安、カルカッタに来たときの哀しさ、そして美しく賢い新妻ぶりなどを、小さい動作と少ない言葉で表現する演技は本当に見事。
特に、新妻がカルカッタのオプーの小さな部屋に来て、密かに悲しみの涙を流すものの、窓から近所の子供を見て、精神的に立ち直る場面は、ひとつのセリフもないのに、彼女の気持ちの動きがひしひしと伝わって感動的。
妻が妊娠し、いったん実家に帰ることになる過程も、ひとことも「妊娠」という言葉が出てこないのに、見る人にそれを知らせるところも感心させ、その後彼女を失った後のオプーの喪失感が一層大きく伝わります。
振りかえると、この三部作ではいずれも女性がとても良く描かれているように思えます。
オプーの子供役も良く、父親を知らず、祖父に折檻されてばかりいる哀しい目が印象的で、それゆえオプーと再出発するラストシーンはとても良いです。
最近では歌や踊りが満載のインド娯楽映画の楽しさが広く知られ、良い映画もたくさんありますが、
巨大なドラマでもなく、大きく盛り上げるわけでもなく、シタールなどの民族楽器を背景に、品格を持って淡々と人生を描きながら静かで大きな感動を生む・・このインド芸術映画はいつまでも残る傑作です。
大地のうた [DVD]
ビットリオ・デ・シーカの『自転車泥棒』に
触発されて作られたという本作は、
20世紀の初め頃、
インドの西ベンガルにある寒村に住む
赤貧にあえぐ一家族の日常を、
ドキュメンタリータッチで淡々と描いていく。
『せめて1日2回の食事と、年に2着の服が買えたら』と
嘆く母親のささやかな希望には、
嘗て『清貧の思想』という本に群がった、
何不自由ない飽食の時代に生きる日本人に、
清貧が美徳だなんて戯言を言わせない重みがある。
本作の中核をなすのは、
主人公オプー少年の姉と伯母の死だ。
老いた伯母は、林の中で落ち葉のように枯死していき、
肺炎を患った姉は、風雨吹き荒れる嵐の夜に、
天の怒りを鎮めるための生贄の如く静かに息絶えた後、
姉は蜘蛛に、おばは蛇に生まれ変わって、
愛着の地で新たな命を得る。
サタジット・レイ監督は、輪廻転生と言う死生観を下地に、
生きとし生けるものの命の連なりを、
西ベンガルの自然を通して描くことで、
人を本来あるべき自然の中に回帰させる。
命が軽んじられ、形の見えなくなった死が蔓延する
現代社会の中で、生きる事の意味を見失った人に、
57年前に作られた本作をお薦めしたい。
大地のうた 《IVC BEST SELECTION》 [DVD]
故黒澤明が推していたという安易な理由で観たのですが、すばらしい映画でした。
これが本当に1955年のインド映画なのかと、見縊っていた自分が恥ずかしくなりました。
黒澤明の映画にも共通する、”時代の風潮”を隠しスパイスとして取り入れており
最後までどっぷりその世界観に浸ることが出来ました。
これだからモノクロ映画はやめられません。