オリガ・モリソヴナの反語法 (集英社文庫)
米原万里さんの唯一の長編小説である。米原さんが書くものはほとんどがエッセイなので、最初は面喰ったのだが、読み始めたら最後、もう仕事をしてようが食事をしてようが、トイレに行こうが寝てようが、続きが気になって気になって仕方がないくらいの本だった。“米原さんの本の中で”という形容ではなく、“これまで読んだ全ての本の中で”一番面白かったと言っても過言ではないくらいだ。
60年代に通っていたプラハのソビエト学校で出会った踊りの先生の謎を解きに、ソ連崩壊直後の90年代にロシアに赴き、旧友との再会、新たな出会いを通して1930年代当時の謎を解いていく。スターリン統制時代の旧ソ連に於ける、残虐な粛清が次々と明かされて行く。謎が謎を呼び、その謎を追いながら物語が展開していく、いわば「謎解き」ストーリーだ。僕はその時代背景を全く知らずして読んだのだが、それでも非常に分かり易く、もっともっと知りたいと思った。残酷で過酷な運命を生き抜いた人々の姿は、何とも言い難いほどに力強く、かつ悲しい。人が人に対して、ここまでやってしまうその時代とは、一体どんな時代だったのだろう・・・まるで平和ボケしている僕には想像を絶する世界だった。“フィクションはノンフィクションよりも多くの真実を語ることができる”という言葉に納得した。
何度も読み返しているが、結末を知っていようとも、米原さんの文体は何度読んでも「おンもしろいっ!」と感じることが出来る。こんなに面白い本に出合ったことはない。
嘘つきアーニャの真っ赤な真実 (角川文庫)
メディアで流れる遠い国の出来事も、人の人生を通して語られるとこんなにも興味深いものに変わるのかと思い知らされました。
30年ぶりに再会する同級生達がそれぞれ東側の崩壊を経験し、その後の人生を切り拓いていく…。少女時代のエピソードと現在語られる言葉が微妙にリンクし、すれ違うさまには著者の巧妙な筆致を感じます。真っ赤な真実とは、信じれば嘘も真実になってしまうということなのでしょう。再会後のアーニャとのやりとりのぎこちなさはとりわけ心に残ります。
プラハのソビエト学校という、各国共産党員の子弟が通う特別な学校だったがゆえに広がりと奥行きがあるのは事実でしょう。が、この著者なら日本の何の変哲もない学校の同級生達を訪ねても、やはり面白く感慨深いものを書いてしまうでしょう。それほど人間観察が鋭く、描写が生き生きとしています。
人の肉声が感じられない「歴史」ほど無味乾燥なものはありません。遠い国の戦乱を身近に感じられないのは、地理的な距離の遠さが理由ではなく、そこで翻弄されてしまう人の声が聞こえないからだと思います。
不実な美女か貞淑な醜女(ブス)か (新潮文庫)
故米原女史は言うまでもなくロシア語通訳の第1人者であったが、同時にエッセイ家としても有名であった。しかも、印象とは異なり下ネタをふんだんに交え、自身の通訳経験を踏まえながら、ユーモアの中に国の相違による価値観の違い、相互理解の難しさをサラリと語って読者を楽しく啓発してくれた。本書の題名は同時通訳にあたって「意訳ではあるが相手の顔を立てる訳を選ぶか、原文に忠実ではあるが相手には真意が伝わりずらい訳を選ぶか」という通訳者の究極の選択を意味している。
本エッセイも他のエッセイと同様、同時通訳における失敗談(他の通訳者も含む)や、相互理解の難しさをユーモアを交えて語っていて期待を裏切らないが、いつもより、言語論、比較文化論と言った点をキチンと語りたいという趣旨があったように思う。米原さんクラスになると通訳の対象となるのは政府要人クラスである。下手をすれば、国家間の問題となるような席で長年同時通訳を務めた米原さんならではの、言語観、国による価値観・文化観の違いを聞く事が出来、啓蒙させられる点が多かった。それも肩肘張らず楽しくである。
旧ソ連の政府高官にとっては日本の政治家より有名だった米原さん、ロシアの艶笑小話にはロシア人より詳しかった(?)米原さん、そんな米原さんの言語論、比較文化論が楽しめる爽快エッセイ。