雨ニモマケズ/三浦久 Hisashi Miura

雨ニモマケズ/三浦久 Hisashi Miura


三浦久の10枚目のアルバム『祈り』(OR-007)より 宮沢賢治の「雨ニモマケズ」という詩にはモデルがいたという説があります。その人は同じ花巻の町に住んでいた、賢治よりも19歳年上の斉藤宗次郎という人です。彼は寺の三男として生まれましたが、内村鑑三の影響を受けクリスチャンになりました。彼はそのために、小学校の教師の職を追われたばかりでなく、さまざまな迫害を受けるようになりました。中でも、9歳だった長女がお腹を強く叩かれ、亡くなってしまったのです。 こんな酷い仕打ちを受ければ、普通は誰でもその土地から逃げ出したくなるところですが、宗次郎は、むしろ、その土地の人々に奉仕して生きようと決心します。毎朝3時に起き、祈りながら、新聞を配達して歩きました。雪が降れば、小学校へ行く道の雪かきをし、貧しい人たちにはお金を恵み、仕事の合間には、病気の人を見舞い、困っている人を励ましました。彼は「でくのぼう」と言われながらも最後までその生き方を貫き通したのです。 大正13年の宗次郎の日記には、花巻農学校で宮沢賢治と会ったときのことが書かれています。新聞の集金に行くと賢治に招き入れられ、一緒に蓄音機で音楽を聞き、賢治の詩のゲラ刷りを見せてもらいました。また、賢治の散文詩「冬のスケッチ」には斎藤宗次郎をもじったと思われる「加藤宗二郎」という人物が出てきます。 みちにはかたきしもしきて きたかぜ檜葉(ヒバ)をならしたり 贋物師〔いかものし〕加藤宗二郎の門口に まことの祈りのこゑきこゆ世間からは贋物師と呼ばれる「宗二郎」の戸口から、真実の祈りが聞こえてくると言うのです。異端児のレッテルを貼られ、蔑視されていた宋次郎を、賢治がいかに評価していたかわかります。 大正15年宋次郎は内村鑑三に招かれて、花巻を去って東京に引っ越す ...
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