金魂巻―現代人気職業三十一の金持ビンボー人の表層と力と構造
それほどー偉そうなこととか言えないコムスメだけどー何か本人がいくらがんばったところでー
生まれた家がお金持ちじゃなかったらーそのあとの人生もたかだか知れてまーすってミモフタモナイことを
30年くらい昔にロコツに言っちゃった本でーす。ある意味で岡田さんの「洗脳社会」よりも未来予測大的中
てゆうかー本当に日本の社会とかー人間社会とかーカワラなさすぎー。
京大とかー有名大学の入試カンニング事件で騒いでるけどーイイダイガク出てもこんなもんだよー
って感じで脱力するー。マルキンのひとたちは慶応が多くてー早稲田や横浜国大でマルビのひとたちも
出てきてるしーあとーそれいがいだとー東大卒の弁護士さんとかー一橋卒の銀行マンがマルキン。
東京外語卒の売れっ子シナリオライターはもう、小説家の大先生みたいでー幸運と才能がすべてでーす。
2011年版がでるとしたらーIT長者が加わるけれど戦後のドサクサと同じでー大混乱の時代は下克上のチャンスも
あったってことなのねー。やっぱりー生まれた時代と場所と家がその人の人生に影響が大きいんだわ
あたりまえーだけど
お父さんのネジ
死去後にあまれた「漫画ベスト版」で、560ページの大著。
赤瀬川源平と南伸坊の、実際のお葬式で読まれた弔辞。それから嵐山光三郎の追悼文と、「南伸坊、みうらじゅん、リリー・フランキー」による座談会がついている。
渡辺コラムの面白さは、十分に認識している私だが。
漫画のほうは、20代前半に、単行本を1冊くらい読んだのだが、当時は全然ピンとこなかった。(まあ、渡辺は生前に漫画の本は3冊しか出ていないのだが)
が、20年後の今、こうして、ドカンとまとめられたものを読み直してみると、素晴らしいこと、素晴らしいこと。傑作の嵐。
「現実体験そのまま」の漫画や、SF的な「奇想天外」漫画まであるが・・。どれも特有の「生々しいリアルさ」に満ち満ちている。
登場人物が、ヤンキーやバイク好き青年(=渡辺)であることが多いので、「文系の本好き少年」だった昔の自分には、駄目だったんだろう。
みうらじゅんや、根本敬の初期作品は、明らかに渡辺和博の影響を受けている。
「毒電波」という題名の、「電波から身を守るため」に、部屋中を覆っている人物が登場する作品まである。
巻末座談会(南伸坊、みうらじゅん、リリー・フランキー)でのみうらじゅんの発言によると、後輩から見ると「怖くて変な人」だったそうだ。みうらじゅんは初対面で「あなた皮かぶっているでしょ」と指摘され、しばらくして渡辺が著書『ホーケー文明のあけぼの』を刊行すると、表紙に長髪の男のイラストがあり、横に「みうら」と書かれていた、そうだ。
また、神足裕司は渡辺から五反田の町中で突然、「チンコ出したら! オレは平気だよ」と命令されたという。
相当変な人だったんだなあ。そういうことをされても、みうらも神足も、渡辺のことが好きだったという。
キン・コン・ガン!―ガンの告知を受けてぼくは初期化された (文春文庫PLUS)
氏の本は、金魂巻以来のファンでほとんど読んでいる。でも、この遺作となった本だけは読んでいなかった。なんとなく敬遠していた、というかな?氏の切り口はどこまでも、シニカルなので、闘病記なんて似合わない、と思いこんでいたせい。ところが、この作品に至っても、まったく文体も心意気も変わらず。逆にうるうるしてしまった。そして、渡辺氏らしいな、と思ったのが、ガンの告知によって、人生が「初期化」された、という表現。その時は、言いえて妙だと思ったが、具体的には、その原因がはっきりしなかった。ところが、偶然にも、つい最近学生時代のサークルの友人の訃報をまじかにして、はっきりとそのメッセージが感じられた。
生き方って、ガンの告知などの外からのワンクリックによって、もののみごとに簡単にリセットされるものだということ。そこから先は「死ぬことを前提に生きる」ということがデフォルトになるんだろう。そこまでは「緩慢にしかし確実に人は死ぬという事実は忘れて生きている」から。しかし、その初期化を行わずに、死ぬことだって多い。突然の病、事故、加齢など。その場合は、その分、周りの誰かの人生が初期化されているのかもしれないけど。人生の初期化、もちろん遠慮したいけど、その人生も生きる価値が多いにある。